2012年10月27日土曜日

書家という存在


——神林先生は、書を誰かに師事したことはないとおっしゃっていましたが、どのようにして書家になったのでしょう?

神林:今でもおぼえているのだけれど、小学校の授業で書き初めをやって、それが先生に褒められてね。学校の代表として出品されたことがありました。それから字を書くのが好きになって、ずっと自分でいろいろ書いてたのね。それで高校生くらいになって字で飯が食えないかな、という意識を持ち始めました。勉強は出来る方だったから、家族からは大学に行けと言われたけれど、父が亡くなってね。すぐに仕事をしなくてはならなくなった。僕は先生に師事したこともなければ団体に加盟したこともないけれども、だからといってそれらに批判的な立場でもないです。ただ、アカデミックな人から見れば僕の字を「乱暴だ」ということもあるかもしれない。そういう人には「じゃあ自分で書いてみてください」と言いたい。

——書の心得はあっても、パソコンの毛筆体で手紙を書く人もいるようですが、これは良くないですよね?

神林:作品は書けても、お手本がないようなものだと途端に自信がなくなってそういうことになる。展覧会に出して弟子をとって書道教室をやってご飯を食べている人は、一般の人にも書を書いて仕事をするべきだと思います。簡単に言えば自分の字を「買ってもらう」ということ。街の中に自分の字をもっと出してゆくべき。臨書も大事だけれど、そればかりだと習う子供達も楽しくない。子供には大人が物差しで測れないくらいの創造性や個性があるのだから、画一的な指導はよくないと僕は思う。周りを見渡すと、そういう個性を潰してしまうような指導ばかりに見えます。

——それでは自信が持てないですよね

神林:そういう指導だと、子供もお手本にいかに似ているかでしか作品を判断できなくなります。手紙に関して言えば、僕は太い万年筆を使って大きな字で手紙を書くことを勧めたい。大きな字だと自分の個性が出やすいから。


(聞き手/編集:加納佑輔|株式会社ソウサス意匠部)

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