2012年11月3日土曜日

書家が見るフォント1


——個人的に非常に気になっていることが、書家には活字(フォント)がどのように見えているかということです。今日は時間がないので、デザイナーがよく使う主要な明朝体いくつかと、書に近い毛筆体の見本をお持ちしました。(※今回持参したのは、モリサワ、フォントワークス、字游工房、イワタ等の書体見本)



今回持参した各社の書体見本


——まず、いくつかの毛筆体を見ていただきたいと思います。


神林:みんな縮こまった字に見えますね。小さく纏まってしまっている。わざとらしい感じもするね。これでは明朝体の活字の方がいい。

——個人的にはイワタの弘道軒清朝体がかっこいいと思うのですが、どうでしょう。

神林:確かにかっこいいね。これはかなりの書家が丁寧に書いた感じがする。それでもいやらしい所がありますね。かっこつけすぎというか。実際の筆字ではこんな風にはならないなあ・・・と思います。不自然ですね。



弘道軒清朝体(イワタType Libraryより)



——では、明朝体はどうでしょう。普段本や新聞などを読んでいて、これはいいなっていう書体はありますか?

神林:朝日新聞の書体はいいな、と思います。

——本日お持ちした明朝体ではどうですか? どれもデザイナーの間では一定の評価を得ている書体ですが。

神林:これとこれは特にいいね。

——筑紫明朝Lと筑紫オールド明朝Rですね。




筑紫オールド明朝R



筑紫明朝L



神林:これ(筑紫オールド明朝R)は特に好きですね。「永」なんかはものすごいいい字だなぁ。

——具体的にどこがいいのでしょう? バランスですか?

神林:レイアウトとバランス。あと筆字の使い方をとても上手く表現していますね。力を入れるところはぶわっと太くなって、筆を入れるところは細くなって、最後に力を抜いて行くという。このまま書道のお手本にできそうな感じです。

——筑紫オールド明朝は私も好きでよく使います。他には気になる書体はありますか

神林:これ(秀英初号明朝)も好きですね。こっち(リュウミンL-KL)は普通な感じですね。オーソドックスなものとして悪くない。



リュウミンL-KL


——リュウミンはパソコンで本を作るようになってから一番使われているので、見慣れているというのもあると思います。

神林:そうですね。当たり前なんだけど読みやすいんだよね。ざっと見た感じだとそんなところかな。

——筑紫明朝はけっこう最近に出た書体なんです。新しい書体が評価されるというのは意外であり、とても興味深いです。

神林:どんどん新しい書体が出てるんだね。

——今回お持ちした書体見本は、比較的大きなサイズで組まれたものなので、長文で組んだ状態で見たらまた印象が変わるかもしれません。書体に関してはもっと見ていただきたいのですが、時間がなくなってしまいましたので、今回はここまでです。ありがとうございました。



(聞き手/編集:加納佑輔|株式会社ソウサス意匠部)


●関連
書家が見るフォント2

2012年10月27日土曜日

書家という存在


——神林先生は、書を誰かに師事したことはないとおっしゃっていましたが、どのようにして書家になったのでしょう?

神林:今でもおぼえているのだけれど、小学校の授業で書き初めをやって、それが先生に褒められてね。学校の代表として出品されたことがありました。それから字を書くのが好きになって、ずっと自分でいろいろ書いてたのね。それで高校生くらいになって字で飯が食えないかな、という意識を持ち始めました。勉強は出来る方だったから、家族からは大学に行けと言われたけれど、父が亡くなってね。すぐに仕事をしなくてはならなくなった。僕は先生に師事したこともなければ団体に加盟したこともないけれども、だからといってそれらに批判的な立場でもないです。ただ、アカデミックな人から見れば僕の字を「乱暴だ」ということもあるかもしれない。そういう人には「じゃあ自分で書いてみてください」と言いたい。

——書の心得はあっても、パソコンの毛筆体で手紙を書く人もいるようですが、これは良くないですよね?

神林:作品は書けても、お手本がないようなものだと途端に自信がなくなってそういうことになる。展覧会に出して弟子をとって書道教室をやってご飯を食べている人は、一般の人にも書を書いて仕事をするべきだと思います。簡単に言えば自分の字を「買ってもらう」ということ。街の中に自分の字をもっと出してゆくべき。臨書も大事だけれど、そればかりだと習う子供達も楽しくない。子供には大人が物差しで測れないくらいの創造性や個性があるのだから、画一的な指導はよくないと僕は思う。周りを見渡すと、そういう個性を潰してしまうような指導ばかりに見えます。

——それでは自信が持てないですよね

神林:そういう指導だと、子供もお手本にいかに似ているかでしか作品を判断できなくなります。手紙に関して言えば、僕は太い万年筆を使って大きな字で手紙を書くことを勧めたい。大きな字だと自分の個性が出やすいから。


(聞き手/編集:加納佑輔|株式会社ソウサス意匠部)

漢字とかな


——先ほどのお話で、漢字の基準は王羲之を中心としているということでしたが、かなはどうですか。

神林:かなは平安時代からの流れで日本独自のものとして女手で書かれてきたものが手本になっています。それに近いものを習うという形です。

——漢字は中国のもの手本として、かなは日本のものを習うとして、それは合うものなのでしょうか。

神林:昔の展覧会では漢字とかなは別に扱われていました。仮名まじりの作品が扱われるようになったのは最近のことです。それまでは書道ではかなの部、漢字の部と分かれていました。


(聞き手/編集:加納佑輔|株式会社ソウサス意匠部)

2012年10月20日土曜日

日本の書道教育

——今回立ち上がった「にほんしき」プロジェクトに限らず、デザインの仕事をしていて常々「書」は避けて通ることは出来ないと感じていました。日本語によるデザインは、独特の間の取り方や、リズムがあります。それは遡れば「書」に行き着くことになります。やはりデザイナーも「書」を理解していなくてはならないと思い、私も数年前から書に関する本も読み始めていますが、やはり現場でお仕事をしている方に直接お話しを聞くのが一番だと思い、今回お伺いしました。 

神林:最初に言っておきたいのですが、僕は書を誰かに教わったことはないし、どこかの団体に所属していたこともない。だから、ここで話す内容は必ずしも書道界で一般的な意見ではないかもしれない。それをわかった上で聞いて欲しいと思います。

——わかりました。でも、だからこそ感じられることや、客観的なご意見が聞けると思っています。一般論は本を読めばわかりますし。最初に伺いたいのは、書の教育についてです。私自身、子供の頃から書道は嫌いでした。今でこそ、デザイナーになって文字に興味がわき、書を見ても「かっこいい」と思えるようになりましたが、「嫌いだった」期間が長くて、「もったいないな」と思っています。子供の頃に興味が湧かないのには、学校の教育にも問題があるように思うのですが、いかがでしょう?

神林:それはね…、いろんな考え方はあると思いますが、字のスタンダードとは何か、というのが昔からの永遠の課題であり誰も解決できていない。中国では王羲之を柱として書ができ上がっています。王羲之の書に近いものが「良い書」であるという考えです。それを目指して練習を重ねて、そのなかから自分なりの個性を見つけ出してゆく。それは日本でも同じです。学校では見た目がきれいな字、適切な止めはね払いがある字がよい字とされています。「その通りにしなさい」と言われて頭を押さえられて「書け」と言われるから面白くないと感じてしまう。

——確かにそうですね。

神林:今でも書家の大部分は臨書といって、お手本を真似して書くことに終始しています。お手本に近づくことが良いこととされている。そういうことが日本の書道教育の根幹にあると思う。書道家は筆で作品を書くと良い字を書いても、フリーで手紙なんかを書くと途端に面白みや個性がなくなってしまうことが多いです。筆で文字を書く場合も、独創的なものとか、そういうセンスが身に付いていない。

——自分なりの美意識がないということですか。

神林:そう。書道の先生の文字を見てその先生の有り様が見える、ということではなく、ひたすら先生の文字を真似することが目指されている。

——展覧会で入選するには、先生に気に入られやすい物真似作品を出したほうがよい、というのは絵画の世界なんかでも聞きますよね。

神林:高い出品料払ってね。大部分の人は展覧会で入選することが目的となっているから、自分の個性が出せている人は少ないですね。先生の真似が評価されて、個性的な作品は評価されにくいから。そういう個性ある人は(団体などから)出て行かざるを得なくて、書道界では活動しにくくなる。学校の習字の時間が面白くないのはそういうことだと思う。子供なんだからもっと思い切って自由に書かせるべき。そのうえで一つの方向を見出し、伸ばしてあげることが大事じゃないでしょうか。手間はかかりますが。

(聞き手/編集:加納佑輔|株式会社ソウサス意匠部)

2012年10月9日火曜日

自分の字

ああこのような字を書きたいなと思ったりこれはよい字だと感じたり、 これはへたくそだと断定したり、人は色色な字や書を見て、いろんなことを考えます。 

それは自らなりに各自が持っている判断基準であったり、自分なりに培ってきた感覚とか、 センスとかによるものであり、決して一律のものでなく百人百様です。 

ここに大勢の人のサインがあったとします。 うまいと思う字、へたくそだと思う字、カッコイイと感じるもの、 こんな書き方がいいなと思ったり、とにかくサインや署名も千差万別です。 

つまり書く人もそれぞれがみんな自分なりの字を書くのです。 そしてそれを見る人も、一人一人が違った見方をし判断をします。 決して同じ結論はありません。

 結論を言います。 自分の字を堂々と書くことです。 誰にも気兼ねすること無く、自分で書ける精一杯の字をペンや筆を使って書くことです。 自らが書いた字こそ自分自身の存在を証明するものであり、自分自身だからです。

2012年10月8日月曜日

書いずむ 公開

書道家による「書」の解説ブログ「書いずむ」を始めました。

本ブログは株式会社ソウサスと、書と看板制作を請け負う「木と字の神林」とのコラボプロジェクト「にほんしき」の公式ブログとして、「書」の楽しみ方や奥深さを発信していきます。
内容は主に、「木と字の神林」会長で書家の神林金哉先生のつぶやきや、デザイナーによる神林先生へのインタビュー、素朴な疑問への回答などを掲載します。